百島
ここは瀬戸内海の離島。
広島県尾道市百島町になります。
「百島」と書いて「ももしま」と読みます。
古い文献では「桃島」と記載してあるものもあり、いつからか「百島」とう言う表記になりましたが、正確ないわれはわかっていないようです。
移住のきっかけ
僕は移住前には百島という島があることをすら知りませんでした。
きっかけになったのはこの航海。
急な誘い
この船の回航に参加することになった経緯。
この船の所有者はバイク仲間で、数週間前に「百島まで船を回航するから一緒に行かない?」なんて誘いを受けていました。
具体的な話はしていなかったのですが、なんだか面白そうだなって思っていました。
一緒にメキシコのBAJA1000というレースに出場したこともあり、この航海を”MOMO1000”だね!なんて言って(笑)
そしてそのまま日は流れ、ある日の突然の電話。
「今日、葉山を出発して下田に着いたから、今から下田に来て!」って。
え!?
「今から電車に乗れば下田着の終電に間に合うからさ!」って。
めちゃ急でしょ?(笑)
数分悩んで、急いで支度をして電車に飛び乗ったよ!
まぁ、急な誘いは今回に限ったことではなく、BAJA1000というレースに出るときにも同じようなことがあって・・・
旅行代理店からの電話
突然、旅行代理店から電話があり、「漆原様のロサンゼルス行きのチケットの手配ができました」と・・・
はぁ?
続けて、「〇〇様のクレジットカード払いになっております」って。
(〇〇はその友人の名前)
僕は「・・・」でしたが(笑)
そんなの知りませんともいえないので、「わかりました」と言って電話を切りました。
一緒にレースに行こうよとは言われていたけれど、行くつもりもなく過ごしていたのだけれど、突然のこんな電話ですよ!
その数分後に本人から電話があり、「行けるでしょ?」って。
これ、出発の1週間前の話ですからね。
チケット手配できなくなっちゃうといけないから、僕に確認する前にチケット手配しちゃったらしいです。
結局一緒に行ってレース走ったんですけどね(笑)
回航
そんな訳で、今回もそれほど驚くこともなく、電車に飛び乗り下田へ。
1泊して翌朝に船を出す予定が、その日は天候が悪くもう一日下田滞在。
前日に慌てて電車に乗ったのは何だったんだと思いながら、下田プチ観光。
その翌日、(たしか1月30日だったと思う)に下田を出発し、太平洋岸を西へ。
毎日半日ほど船を走らせ、午後は船のメンテと休養をしながら、約1週間かけて百島に到着。
初めての百島
移住する気などは全く無く、特に離島に興味があったわけでもなく、
このときに何日滞在したのかさえよく覚えていない。
多分2日ほど滞在したと思うけれど、この友人と新幹線で横浜に戻った。
百島診療所
この船を回航したわけは、この友人が百島診療所という診療所を開所し、離島医療に使用するため。
橋の架かっていない有人離島での診療に不可欠な船を運んだというわけ。
実はこの有人には壮大な夢があり、元々エアショーパイロットだったこともあり、航空機での離島診療を目標に掲げていました。
まずは船からということで、この船を回航したというわけです。
また急な誘い
横浜に戻り、約1ヶ月ほどしたある日、また電話があり、「ウルシに来てもらうことになったから!」と。
診療所の事務をするはずだった人が急遽ドタキャンで来れなくなったからだそうだ。
「いざという時は手伝いに行くよ」なんて話をしたわけでもなんでもないのに、有人の中ではそういうことになっていたらしく(笑)
「来てもらえないかな?」ではなく、「来てもらうことになったから」だった。
結果的にはこの言葉で後押しされた感じだった。
「来てもらえないかな?」だったとしたら断っていたと思うしね。
引っ越し
慌てて身辺整理をして関東での仕事を断り準備を進め、引っ越しは業者に頼むのではなく、自分の車で何往復かしながら荷物を運びました。
そんな最中に起きたあの311。
ちょうど百島に着いたところだった。
横浜でも地震の影響は大きく、ガソリンスタンドでの燃料補給はできない状態になったため、
引っ越しの途中で、後の荷物を運ぶことができなくなり、そのまま診療所の開所。
当然まとまった休みなどないので、不動産屋での家の引っ越しの手続きも済ませていないし、ご近所さんへの挨拶もできずに、実質この日が移住日となってしまいました。
残りの荷物は後に弟に運んでもらいました。
ここまでが移住することになったきっかけ。
診療所を退職
診療所開所から5年後の2016年、一身上の都合で診療所を退職。
もともと離島や田舎暮らしに憧れて移住して来たわけではないのに、なんとなく居心地もよく、都会に比べるとストレスも少ないので、横浜には戻らずに島ぐらしを続けることに。
しかし、島での仕事だけでは生活に十分なだけ稼げず、預金は半年でなくなり、出稼ぎに出ることに。
幸い関東での仕事はつながりがたくさんあったため、2拠点生活を開始。
それ以来10年間、関東と百島の半々の生活をしています。
多いときには月に3往復していたときもありました。
稼ぎの殆どは交通費に消えると言う感じでしたね。
ここ数年は少し往復回数を減らし、月に1往復くらいに留めるようにしています。
診療所を退職した後にこのブログを始めて、記事を書き始めています。
過去の記事はアーカイブから御覧ください。
診療所勤務時代はアメブロに記事を書いていたのですが、そちらの記事もこちらに移していますので、
過去記事をご覧いただけます。
夢を実現させた凄いヤツ
診療所開所当時は神奈川から回航した船で他の離島に診療に行っていましたが、
後に水上飛行機(当時はテスト用に購入したウルトラライトプレーン)を購入して海上での離着水テストを繰り返しながら、航空機による離島医療を模索。
結果的には水上飛行機での離島診療は様々な問題があり実現できなかったけれど、僕の離職後に院長はヘリの操縦資格を取り、自らの操縦でヘリを運転して他の離島の診療を開始した。
ほんとに夢を叶えたすごいヤツです。
2026年2月現在は、百島と佐木島の間をヘリで渡り診療をしていますが、4月からはもう1島増える予定のようです。
こちらは数年前に書いた記事です。
▶https://ritoulife.com/dream-come-true/


